(1日100回転する 五反田にある おにやんま)
「安くて美味しい満足できる食をできるだけ多くの人に提供したい、これが根本の志です。」
注文してすぐに、商品が提供される 立ち食いスタイルのうどん店 「おにやんま」コシがあるつやつやの麺と熱々の天ぷらがすぐに食べられるため、連日長蛇の列ができているお店です。
経営されていらっしゃるのは、東京でうどん店を4店舗経営される大下社長
香川で幼少期を過ごした大下社長は、香川を離れたときうどんシックになって、「私はほんとにうどんが好きなんだな。」と、痛感されたそうです。
香川で食べていたうどんが忘れられない。
安くて美味しいうどんが好きなんです。
だからその大好きなうどんを作り提供して喜んでもらうことがなにより楽しいのです。
うどん屋さんは誰もが情熱があると思います。私も同じようにうどんに愛情と情熱が思いっきりあります。
(おにやんま新橋の厨房)
香川県にあるうどん屋さんは、ほんとに安くておいしい。他のどの業態でもなかなか勝てないコストパフォーマンスに溢れています。
美味しくても毎日昼食で1000円ほどかかったり、500円で食べられても味や量で満足できない中、香川にあるうどん屋さんは500円で味も量も満足できるからこそ、あれだけ多くのうどん屋さんが存在しているのだと思います。
関東には、そのような店は、まだまだごくわずかしかない環境でした。
私がうどん店を開業する動機が、そもそもそこにありました。
香川 坂出の高校を卒業し大学進学で上京した今から23年前には、まだ はなまるさんも丸亀製麺さんもなく、安くて満足できる食はなかなかありませんでした。
学生で食べざかりですが、お金も自由になく、毎日のように香川で食べていたうどん屋ならもっと安くもっと美味しく満足できるのに。「うどんが恋しい。」完全にうどんシックになりました。
そこで実家の母親に頼み、毎月段ボールで一か月分の半生麺を送ってもらい、卒業までずっと自分で茹でて食べたり、寮の他県からきた友人と食べて、おなか一杯美味しいうどんを堪能していました。
そこで、「私やこの周りの私の友人みたい人は他にも絶対にいる。香川のうどんはこっちにも必要、ないのなら自分で作る。ビジネス的にも絶対になりたつ」と、考えたこの時に私は将来うどん屋を関東でやると決意したのです。
(お客様は5分から15分ほどで食べる 1日2回いらっしゃる方も)
今はそれを実行しているだけです。
お陰様で私が思ってた以上に店に賛同してくれる方がきてくださって繁盛しています。
ネットを見たら「おにやんま渋谷に出してくれないかな、おにやんま池袋に出してくれよ」などの書き込みも目にします。
やっぱり間違ってなかった!求めてくれる人は大勢いる。
だから出店させたいのです。
具体的に何年で何店舗というプランは今は出せません。
理由は安くて旨いを絶対に守りたいからです。
そのためには技術をもったスタッフが必要です。スタッフを育て次第、出店していくと考えているからです。
愛媛でうまれ、3才から徳島、小学校3年時に香川にきて高校を卒業するまで香川育ちです。純粋な香川生まれではないのですが、一番多感な時期を香川で過ごしていますから、私の故郷は香川です。愛媛での記憶はゼロ、徳島での記憶はほんの少しですから。
大学を卒業後に、金融機関でうどん店開業の資金をためるために就職し、経営を学ぶために飲食店を支援するコンサルタント会社に転職して、開業のノウハウを実践さながら学びました。
そして、開業前には、うどん店でアルバイトをして、大和製作所にも行き、『大和うどん学校』を2回学びました。
藤井社長の経営講義もとても参考になりました。
大和製作所の麺学校では、本当に基本から応用までいろんなことが学べてさすが、麺を追及している会社だと思いました。
1回ではまだ収得できていないと感じ、2回参加して深く学べました。
うどんというものをいろいろと貪欲に学び、そして満を持して開業しました。
おにやんまをうまくいかせた秘訣は、やっぱり安くておいしいうどんを提供したい、という信念をもっていることですね。
そのためにはどうすればいいか?どうすればもっと安く提供できるか?
どうすればもっと美味しいのを提供できるか?と日々考えて実行しているからだと思います。
おにやんまという店名は、香川の田舎の風景をゆったりとんぼが飛んでいるイメージで、優雅で一番大きく強いきれいな水のあるところしか生息しないおにやんまのように、僕らもお客さんからの発想を常に持ち続けお客さんに喜んでもらうための誠実な仕事がしたいと思い店名にしました。
お客様 うちのうどんでしばし充電してください。
お客様には本当に感謝し、「いつも有難う御座います。何度も来てくださり有難う御座います。毎日のように来てくださり有難う御座います。
うちのうどんでしばし充電してください。で、また元気にご活躍ください。で、また充電しにきてください。私どもも目いっぱい頑張って今よりおいしいうどんを作ってお客様に喜んでいただけるように精進し続けます。」と、常々思っています。
志を一緒にしているスタッフを幸せに大切にしたい
素晴らしい香川の文化、またそれを広げようとされてる大和さんにも感謝感謝です。
支持してくれる人が、関東にはまだまだいるはずですから出店していきます。
お客様もうれしい、うちで頑張ってくれてるスタッフもうれしい、会社もうれしい、取引先もうれしい、私もうれしい、みんな喜んでいける出店だと思っています。
そのためには「同じように志をもってくれるスタッフ!!!!!!」この人達のお蔭でおにやんまは成り立っています。
今後、数店舗拡大していくので、うどんが大好きでやる気のあるスタッフの方がいれば、一緒に頑張りましょう。
頑張れば頑張った分、しっかりと報酬として反映できるシステムなので、スタッフのみんなも幸せで、そしておにやんまのお客様が大満足するお店を展開していきます!
- 大下社長と一緒に頑張ってこられた、大下副社長にもおにやんまについてお話をお伺いしました。 -
うどん屋が好きでうどん屋で働いていて、お兄さんである社長と一緒にやることになった。
香川に居たときに一番好きなうどん屋「宮武うどん」でうどんを作るために修行しいろいろなことを教えてもらった。
最初は二毛作を狙って、昼はうどんで夜は居酒屋をやろうと考えて、和食も学び、築地で魚のさばき方を学び居酒屋に向けても準備していたが、いざオープンさせた時にとびぬけた個性がない気がして、どっちつかずになることを体感した。
こうなったら、うどん1本でやろうと決めた!
シンプルにうどんだけでやったろう!!
そして、うどんを追及するお店を作った。
6年前 2010年に、「おにやんま五反田」をオープン 今では、10席で100回転するお店。
シンプルな立ち食いで本格的なうどんをだすスタイルがヒットし、メディアにたくさん出ています。
- 今、お客様に大変喜ばれるお店を作り、連日にぎわっているお店を運営させていらっしゃる大下社長、ではこれまでに苦労をされたことがなかったのでしょうか。 -
それはもう一杯苦労しています。。。最初はもう毎日が閉店寸前でした。
私が開業したのは2005年、今から11年前でその店は二毛作を狙った「かがり火」という店でした。おにやんまの開業の5年前です。
かがり火は大失敗の店でした。15坪の小さな店で私と弟の他は従業員が一人だけの店でしたのでなんとかやっていけただけで弟が従業員で給料を払う必要があれば、もうそれだけでつぶれるような店でした。
失敗の原因は100を超えると思いますが一番おおきなものは自分本位だった事だと思っています。
香川のうどんを出してお客さんに喜んでもらいたい、この根本だけは同じでしたがここは東京、家賃も人件費も高い、だから値段は少し多めにもらおう、とか夜をうどんだけでやっても単価が安すぎてやっていけるのか心配だからお酒をおいて単価をもらおう、とかこっちからばっかりの発想になってしまってたことが何よりの失敗だったと思っています。
オープンさせて1か月で「あっ、こりゃ失敗したな。さあどうするかな?」と。
そこから毎日弟と営業が終わったら店に泊まって一緒に考えていました。
今思えばそこがスタートだった気がします。まだ全然スタートできる考え方ももってなかったのにスタートしてしまったんだと思います。オープンしてから気づきました。考えてたつもり、わかってるつもりでした。
藤井社長が店はオープンさせたときに勝負が決まってるというのも身をもって体験しました。
コンセプトの大事さについても、コンセプトからすべてを一貫して考える大事さもです。うどん学校でしっかり教えてもらっていたのに、きちんと自分自身が理解出来てるつもりでした。
ほんとうに店を繁盛させるには考え方が一番大事だと痛感しました。
毎日の夜中の作戦会議をし改善を行い、また支えてくださる、いいお客様との出会いがあって、なんとか少し良くなり、つぶれる事はなく営業出来ましたが根本的にすべてを変えたいとずっと思っていました。
内装もこれじゃない、レイアウトもこれじゃない、みたいな感じです。
ですので、こうしたらいいなノートみたいなのが何冊も出来ました。そしてそれをぶつけたのがおにやんまです。これでダメならもう俺らはダメや、という気持ちでその時の僕らのすべてをぶつけた店です。5年間ため込んできましたので少しは自信もありました。
結果はなんの告知もせずオープンさせて初月は僕らの目標300万に近い250万でスタートしました。
かがり火の時の正反対の感想でした。これはいける!と。
そこからずっと売上は増え続けていますが、そこからの苦労や失敗も多々ありました。
ですが、かがり火の時に比べるとどれも全然たいしたことです。
かがり火の時は、支払いも毎月スムーズに出来ず店だけでなく自宅の支払いも苦労する状態が8か月続きました。僕と弟は自販機のジュースを買うのももったいなく店の水を飲んでいました。
こういうランチ10人、夜3人のようなとんでもない状態だったときに弟と言ってました。
この今の毎日があってよかったなと3年後に笑い話にしような、3年たてば笑い話や。
今は思いっきり勉強期間と思ってやっていこうな。このままで終わるかいな!
今はあの時の日々を愛おしく思います。
これからも苦労があるでしょうが何も怖くないです。
苦労もあとで楽しいものに変わるのを知ってます。これからも苦労を楽しみながら進んでいきます。
- 大変な苦労を乗り越えたその先にある強さ、成功の本質を知った大下社長の夢
もっといろいろな場所に おにやんまを広げていきたい -
地域に愛される強い店をたくさん増やしたい。
数店舗出したいと思っています。
スタッフのみんなには一緒に広めていって、スタッフのみんなも楽しんで頑張った分はしっかりと反映するので一緒に楽しもう!
多くの人に喜んでいただきたい。もっといろいろな場所に おにやんまを広げていくことを夢に熱心なスタッフの方を募集しています。
学歴は不問です。お人柄で採用を決めさせていただいています。
知識は後から付いてくるもの。経験を繰り返し積む中で、うどんというシンプルな食べ物が持つ魅力や、仕事のやりがいを実感していただきたいです。
スタッフ 宇良さん 釜崎さんなども、楽しそうに働かれています。
大下社長は、スタッフのみんなには感謝している。頑張っているみんなの夢も叶えてあげたい。
宇良さんは、もともとおにやんまの常連さんで店内のチラシを見て入社し、今ではさまざまな店舗を任される重要なポジションで働いています。
お客様をお待たせしないよう工夫しながら仕事をしています。
行列が出来ていても、入店後お待たせすることなくスピーディに提供するためには、お客様にご注文をもらってからてんぷらを揚げているのでは遅いので、季節や天候、行列に並んでるお客様の年齢から、 揚げるてんぷらの種類や茹でる麺の量を調整するなどし、常に先読みを欠かしません。
釜崎さんは、最近入られましたがとても熱心で吸収する力が高いと評判です。自分の地元商店街が寂れてきているので、その商店街を盛り上げたいと夢を持ち働いています。
最高に美味しい状態で商品をどう提供できるかを日々、追及しているとお二人とも楽しそうにお話をされていました。
スタッフのみなさんが一番嬉しいこと。
それは、
「うまい!ごちそうさん!!」と食器棚に器がもどってくる瞬間。
お客様の笑顔にエネルギーをもらっています。
今日も、東京のおにやんまは最高に美味しいうどんを出して、お客様を唸らせています。
◆店舗名「おにやんま」(新橋店)
・住所:東京都港区新橋3-16-23
JR「新橋駅」~徒歩2分
◆店舗名「おにやんま」(五反田店)
・東京都品川区西五反田1-6-3
各線「五反田駅」~徒歩2分
◆店舗名「おにやんま」(東品川店)
・東京都品川区東品川4-1-20
京浜急行線「青物横丁駅」~徒歩5分